グレン・フライが死んでしまった

2016-01-19T21:05:21+09:002016年1月19日|Categories: 日々|Tags: |

「一番好きなバンドは?」と聞かれると、僕はいつも「うーん」と少し考えた素振りを見せてから、「イーグルスかな」と答えていた。 相手がその名を知っているかもわからないし、まぁ答えとしてはあまりかっこよくはない、少なくとも女の子にモテそうな模範解答ではない。 彼らを意識して聴きはじめたのは、1994年の「Hell Freezes Over」というアルバムからだった。当時僕は17歳で、ラジオからたまたま流れてきた「Get Over It」という曲がとにかくかっこよくて、すぐにCD屋さんに走ったのを覚えている。 もちろん、あの「Hotel California」や「Tequila Sunrise」を作った人たちだとは知っていたんだけど、そのライブアルバムのあまりの完成度というか、歌と演奏のうまさに驚嘆したものだった。 僕はすっかりイーグルスの虜になり、東京ドームで行われた再結成ツアーにも一人で足を運んだ。17歳の高校生が、50がらみのおじさんたちに囲まれたわけだ。 今でこそ慣れてしまったが、あのライブが始まる前の雰囲気は忘れることができない。5万人がワサワサと話している声、BGMが途切れるたびに囃し立てる歓声と口笛、そして、客電がパッと消えた瞬間に全員の期待がステージ中央に注がれる瞬間は、当時の僕にはしびれるような体験だった。 1曲目から「Hotel California」のイントロがはじまった時のあの地響きのような光景は、いまだに思い出すことができる。 彼らはその後、2回日本に来たはずだ。僕はまた東京ドームに足を運び、ステージが豆粒みたいにしか見えなかった高校生の頃よりもいい席で彼らのステージを観た。 その時のツアーの名前は「Farewell I Tour」。もう50代後半だった彼らのステージを日本で見られるのは、おそらくこれで最後だろうと思っていた。グレンはステージ上で、「Farewell tour(さようならツアー)という名前だけど、Farewell I Tour(さようならツアーの1回目)だからね」とおどけていたものだった。 その7年後、彼らはなんと新作まで発表しやってきた。僕は大枚をはたいて、彼らを間近で観られるチケットを購入した。 とにかく覚えているのは、あのハンサムなドン・ヘンリーがえらく太ってしまったこと。まぁちょっとショックではあったけども、今考えれば健康的でよかったのかもしれない。 もともと、ルックスはパッとしないんだ。はっきり言って芋臭い、ネルシャツにジーンズで歌う、いかにもアメリカのレッドネックという感じだった。 イーグルスは、ほぼ全員がボーカルをとれる稀有なバンドだった。キャリアのすべてを通して、リード・ボーカルはドン・ヘンリーであることに疑いはないが、グレンも、ジョーも、ティモシーもみな超一流に歌も演奏もうまく、一人でいくつもの楽器をこなすプロ集団だった。 特に彼ら全員がハーモニーを聴かせる「Take It to the Limit」という曲には、ライブに同行したイーグルスをあまり知らない友人が、鳥肌を立てて興奮していた。まるで機械で奏でているように正確無比、それでいて圧倒的なライブ感で迫る、まさにロックバンドとしての完成形を観た。 成長してようやく少しずつ英語を覚えて、彼らの歌詞を改めて味わってみると、その真の意味に気づくことができた。陽気で明るく、西海岸の乾いた風のような音の影に、アメリカ社会が抱える闇や、人間の卑屈さやずる賢さへの深い洞察が散りばめられていた。西海岸の乾いた風は、急にヌメッとした、夏の終わりの由比ヶ浜みたいな、人間臭い感触に変わった。 グループの中で一番明るく、いつもにこやかで、気さくなおっさんだったグレン。しかしイーグルスファンの僕から見て、彼は多分性格が悪かったと思う。もちろん、ステージでそんな素振りは見せないけども、やっぱりなんとなくわかる。彼は頭がよく、才能に溢れていたが、おそらくグループのドン・ヘンリー以外のメンバーには、皇帝のような振る舞いをしていたはずだ。ドン・フェルダーが突然クビになって裁判にまでなったけども、あれだって絶対グレンが独断で決めたに違いないんだ。 イーグルスのファンだとか言っておきながら、僕は彼が病の床に伏せているのを今日まで知らなかった。なんでも、関節リウマチ、大腸炎、それに肺炎に悩まされていたという。それは苦しかったことだろう。おそらく、死よりも辛い闘病生活だったに違いない。月並みだけども、ようやく彼は苦しみから解き放たれたのかもしれない。 ここまで言っといてなんだが、僕はイーグルスの曲をあまり頻繁に聞かない。ずっと溜め込んで、聴きたくて聴きたくてたまらなくなるまで我慢して、「Desperado」の掠れた声とか、「New Kid in Town」の明るいんだか暗いんだかわからない世界観に浸るのだ。 それは多分、彼らの曲に飽きてしまうのが怖いからだ。僕は一生イーグルスを聴き続けたくて、聴きたくてたまらなくなった時に、体中の細胞に染み込ませるように取り入れるんだと思う。 グレン・フライが死んでしまった。今日は聴きたくてたまらない日だけども、泣くからやめよう。

女子力とGirl Power

2017-11-03T14:03:15+09:002015年1月31日|Categories: コミュニケーション, 日々, 経済・社会|

スパイス・ガールズが「Girl Power」という言葉を流行らせたのは90年代のことだったが、これを無理やり直訳すると「女子力」だろうか。メラニー・チズムの右肩にも「女力」というタトゥーがあったし。 ただ、スパイス・ガールズが言った「Girl Power」は、「(男や社会に頼らず)独立して生きていく女性」、といったようなフェミニズム的なスローガンだったが、日本語の「女子力」は、どちらかというと「女の子らしさ」とか、「かわいらしさ」という趣が強く、言ってしまえば「男に好かれる能力の高さ」といったような意味で、Girl Powerとはまるで正反対である。 スパイス・ガールズは日本でも非常に人気が出たけども、結局彼女たちが提唱したこの「Girl Power」という概念だけは、ごっそりと抜け落ちたように定着しなかった。 その代わりかは分からないが、「女子力」という言葉が定着してはや数年。今では年代を問わない共通語と言えるのではなかろうか。 そしてこの言葉が面白いと思うのは、むしろ女性が好んで使っているように見えるからだ。 「私って女子力ない」 「○○ちゃんは女子力高いよねぇ~」 というような感じで。 これを紐解いていくと、日本の性差別につながる根の深い問題なのかもしれないけども、日本の女性は、そういった「女性らしさが重視される社会」という共通認識に対しやや斜に構えて、アンチテーゼ的な姿勢をちょっと遊んでいるような感じもある。この発言自体が女性差別だと気分を害される方もいるかもしれないけども、もちろんそんなつもりはなくて、そういった「場を支配する空気に対する自虐を楽しむ」みたいな日本の独特の文化は、結構面白いなと思う。 では、Girl Powerに変わるような日本語があるかというと、単語としてはちょっと見当たらない。言葉がないというのは、一般的な共通認識を持てないからだと思うので、そういった言葉が生まれればいいなと思うし、そのうちそんな言葉すらも死語になるような時代が来ればとも思う。 何だかまとまらなかったが、まぁいいか。

株式会社WORKTANKの関戸さんとは何者か

2017-11-03T13:56:54+09:002014年8月28日|Categories: 日々|

Webサイトを立ち上げて、お問い合わせ窓口を設けると、早速以下のようなメールを頂いた。 「件名: 成果報酬の料金は不要です。エンジニアのご提案 株式会社WORKTANKの関戸です。」 人事採用ご責任者様 いつもお世話になっております。 株式会社WORKTANKの関戸と申します。 ……中略…… JAVA .net C++ Linux Oracle サーバー構築 ネットワーク等の エンジニアが約5600名登録しておりますので、 何なりとお申し付けください。 …… この後、さまざまな経歴を持ったエンジニアの一覧が並ぶ。 まぁスパムだろうと思って流し読みしたけど、URLの記載は一切ない。というか、電話番号と住所しか書いていない。 この辺りでWORKTANKへの好奇心は止めることができず、案の定検索してしまった。 http://www.worktank.com/company/ なんというか、狭い。 横幅は600pxとのことで、昨今のディスプレイのワイド化や、レスポンシブデザインなんぞには安易に組みいらん、という強い意志を感じる。むしろ一周回って、スマートフォンのみに最適化しているのかもしれない。違うけど。 そして何より、この思わず脱力しそうなロゴ。 逆にどんなツールを使ったのかが知りたい。手書きだろうか…… しかしよくよく見てみると、WORKTANK社は、なんとインターネット黎明期の1995年からIT専門の求人サイトを運営しているとのこと。 http://www.worktank.co.jp/stage/stage_index.html 95年といえば、Yahoo!が生まれた年、Googleが誕生する3年も前だ。ジェリー・ヤンもラリー・ペイジも、よもや日本にこんなアントレプレナーがいたとは想像だにしなかったろう。 このメールが実際にWORKTANK社から送られてきたのかは分からない。アドレスgmailだし。もしかしたら、競合他社の悪質な嫌がらせかもしれない。 今後、何かの機会があれば、一度この関戸さんにお目にかかりたいものである。

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