2016年の振り返り

2017-11-02T20:32:06+00:002016年12月29日|Categories: 日々, 経済・社会|Tags: |

なるなるとは聞いていたんですが、今年もやっぱり年の瀬になり、仕事納めや帰省でちょっとゆったりモードになりつつも、お正月の準備やらで慌ただしくもある、年末の東京っぽくなってきました。 今年も終わりということで、2016年を振り返って何か一筆残しておこうと思い立ったわけですが、普段ろくに更新しないくせに振り返りだけは毎年やるなと、自分は後ろ向きな人間なのかと思って履歴を辿ってみたら、去年は一切何も書いておらず、記憶力の減退を憂慮せざるを得ません。 今年はというと、何より法人化したことが最大のトピックです。2014年7月7日にフリーランスとして独立をし、いろいろな方にお世話になって何とか2年を過ごし、今年の同日に渋谷税務署に届け出を出した暑い夏の日は、おそらく生涯でも大きなターニングポイントとなることでしょう。 事業面では、引き続きさまざまなお仕事に関わらせて頂き、多くの素晴らしい方と出会えたことで充実したものとなりました。ここに御礼申し上げます。 一方で、世の中とは予想以上に魑魅魍魎が跋扈しているのだと思い知ったのも今年でした。これも私の経験不足がゆえなのですが、社会人となって以来、いわゆる東証一部といった大手企業にしか勤めた経験がなく、それら企業はもちろん新しいビジネスを興して業績を伸ばしていく側面はあるのですが、それと同じほど既存ビジネスの毀損を防ぐ、要するにコンプライアンス遵守に重きを置いており、「ヤバイこと」や「やっちゃいけないこと」に対し、経営陣やお偉方はもちろん、末端の社員も敏感だったというのがあります。 しかし自分が中小企業になってみて、このステージにいる人たちは「失うものがない」とばかりにイケイケドンドンなのだと思い知りました。それも、ブラック企業よろしく社員に猛烈に働かせるとかいうレベルではなく、明らかに法律の隙間をぬって明確に人を騙しにいく、要するに限りなく黒に近いグレーな詐欺行為を働く企業が本当に数多く存在するのだと知りました。 多くの人が嫌う「ITのめんどくささ」を解消することは対価をもらうに値する価値だと思いますが、中には狡猾に金を奪いにいく集団が本当に多く存在していますので、皆さん本当にお気をつけください。私自身や会社が騙されたわけではないんですけども。 ミクロな視点ではそんなところですが、一方で世界に目を向けてみると、やはり印象深いのはイギリスのEU離脱(Brexit)と、ドナルド・トランプさんの当選ではないでしょうか。 世界中で行けない場所はないほど交通網が発達し、インターネットが時間と距離をゼロにし、世界中の人が多くの価値を共有できる日が来たのに、それがもたらしたのが、さらなる貧富の拡大と排他的な傾向というのは、皮肉以外の何ものでもない気がします。 ジェレミー・リフキンの『限界費用ゼロ社会』が出版されたのがちょうど1年ほど前で、これ自体は名著でお時間があればぜひオススメなのですが、リフキンさんが示唆する世界にたどり着く前に世界は違う圧力、貧しさによる民衆の蜂起だったりうねりだったりによって大きく変えられてしまいそうな、フランス革命のような何かが起こりそうな気配もあります。 特に今回のトランプさんの当選により、アメリカの国力(特に外交力)は弱まらずとも強まることはない、強めるわけにいかない状況に陥りそうで、そうなると間隙を縫ってロシアが台頭してくるのは目に見えており、必然的にシリアや中東問題はより解決困難になることを考えると、果たして世界情勢は良い方向に向かっているのだろうかという懸念が残ります。「そんなの知ったこっちゃねえよ」ってみんなが思ってるから今の状態があるのかもしれませんが。 話が壮大になりましたが、今一度自分の専門分野に戻ると、今年は「AI」と「VR」がホットなワードだったかなと思います。両者は来年以降もテック系の中心にいるでしょうし、動画マーケットなど含め拡大することは間違いないわけで、何とかその大きな渦潮の中にかじりついていきたいなとは考えております。 振り返ると言いつつ未来、かつ漠然とした話ばかりとなり、まさに便所の落書きと相成りましたが、とにかく言いたいことは今年もありがとうございました、来年もよろしくお願いします、ということです。

裁判で争われているのは、そのほとんどが「心」の問題だという話

2016-04-03T19:41:33+00:002016年4月3日|Categories: 日々, 経済・社会|Tags: |

先日、とある方と食事した際に出た話題。 私は、「裁判」というと「有罪か無罪か」をテーマに議論していると認識していた。報道などを通じて触れる裁判の世界も、多くは冤罪や、現行犯に近い形で逮捕され、傍目からでも有罪がほぼ間違いないと思われる凶悪犯の話題が多い。 もちろんそれはメインではあるものの、しかし実際の裁判の現場で争われるのは「心」の問題だという。 砕けた表現を使えば、「やったかやってないか」は大方の場合で決まっており、明らかな証拠が揃っている中で「やってない」と言い張ることはほぼないらしい。 では裁判とは何をする場かというと、大抵が「やったけどわざとじゃない」という点を争うのだそうだ。 たとえば殺人事件なら、「殺したか殺してないか」ではなく、「殺したけど殺そうとは思ってなかった」と主張することがほとんどで、これが認められれば減刑される。「どれだけ減刑させられるか」が弁護士の手腕であり、その逆が検察官のそれだ。 これはどんな裁判でも争われる重要な焦点だが、特に顔見知り間でのレイプが難しいそうだ。レイプというと、多くの場合女性が見知らぬ男に突然襲われるというケースを想定しがちだが、割合的には身内、配偶者や交際相手などからの被害が圧倒的だ。 内閣府男女共同参画局:男女間における暴力に関する調査 その上で、実際に裁判となると、原告側には「合意(和姦)だったか否か」が厳しく追求され、原告側が「合意ではなかった」という証拠を提出しなくてはならない。そう考えると、なんと約25%の女性がそのような経験を持つというのに、実際に裁判にまで至るのは極端に少ないのもうなずける。 たしかに、夫婦間のレイプを犯罪とするのは、素人目にも相当ハードルが高そうだと感じる。実際に、長年夫婦間のレイプが有罪として認められた判例で著名とされているのが、32年も前の昭和59年の広島での事件だ。これだって、内容をよく確認してみると、被告のDVから逃げた原告に対し、被告が友人とともに輪姦するという、事実であれば酌量の余地もない完全な犯罪である。 配偶者間での強姦を成立させた裁判例等 もちろん、これ以降にも有罪が成立したケースはあるだろうが、それ以上に、(レイプの場合ほとんどがその被害者であるという意味で)多くの女性は泣き寝入りしているのであろう事態は容易に想像がつく。 話が逸れたが、もし自分がこのような「心情」を争う事件の裁判員になったとして、有罪無罪を見極める自信はまったくない。心情的にはやはり弱い立場に加担してしまうだろうし、とはいえ無実の罪を着せるわけにもいかない。誰も見ていないセックスが合意だったか否か、が他人にわかるだろうか。 まぁこれは裁判員制度の問題ではなく、「人を裁くのも結局人だよね」ということに帰結するので、解決というか、誰もが納得する方法としては、100%絶対に間違いのないウソ発見器を作る、ということにしかならないだろうけども。