「最初はグー」がもたらす経済的損失

2015-10-20T23:06:59+00:002015年10月20日|Categories: 日々, 経済・社会|

重ね重ね思うに、ジャンケンというのは素晴らしい発明である。Wikipediaによると、その誕生は19世紀後半と意外と浅いものの、これから何世紀を経ても、それがなくなるとは思えない。 まず評価できるのが、その公平性だ。基本的に、手の平さえ動けば誰でもこの勝負に参加可能。容姿や富、体力や政治力など、ジャンケンの前では無力だ。人間が高度に進化し、頭髪や体毛がなくなって、よしんば指が6本や10本になったとしても、グーチョキパーの形態は失われないだろう。 たとえ、何らかの理由で手が使えない場合も、声や足、なんだって代用できる。ジャンケンの機能性の真髄はそこにはないのだ。 ジャンケンが真に美しいのは、「三すくみ」という様式である。わずか三種類の「手」は、明確な強弱属性を持ち、完璧なバランスを保っている。 しかし、実際の勝負を行うにあたり、これが完全に運に委ねられるかというとそうでもない。「二手前はグー。一手前もグー…… となると、次にグーを出す確率は……」。ジャンケン中の脳では、そんなヒリヒリする思考活動が繰り広げられているのだ。そうは言っても、突き詰めていけば結局運ではないか。いやしかし…… この堂々巡りである。ジャンケンは深い。 その素晴らしきジャンケンに対し、しかし近頃気になることがある。それは「最初はグー」という慣習に対してである。 あなたはここ最近ジャンケンをしたろうか。その時、「最初はグー」と言わなかったろうか。今一度、胸に手を当てて考えてみて欲しい。本当に「最初はグー」は必要なのかどうかを。 現代のジャンケン事情を鑑みるに、「最初はグー」はジャンケンとほぼセットだと言って良い。いきなり「ジャンケン……」とやろうものなら、「最初はグーでしょ!」と怒られかねない始末だ。そんなことはどうでもよい。ただジャンケンをしたいだけなのに。 くだらない話だと吐き捨てたくなる気持ちはわかる。私もそう思う。最後まで何の結論もない。 しかしこれは、日本人の思考能力の衰えが生まれる可能性において、意外と重要な問題かもしれない。ジャンケンの醍醐味は「ジャン、ケンッ……」というコンマ何秒の間に思考を巡らせるところにある。相手の性格、クセ、生まれ育った環境、価値観、恋愛観、血液型、兄弟何人いるのか、芸能人で言うと誰に似てると言われるか、初デートにはどんな所に連れて行ってもらいたいのか……そんな数多くの要素を取捨選択しては、3種類の手から1つを選択する高度な思考活動だ。 ここまでのことを一瞬で考えるわけだから、脳への負担は尋常でない。その面で「最初はグー」をクッションとして入れたい気持ちは重々理解できる。 しかしどうですか。それによって、我々の反射的思考力はどんどん衰えていませんか。人間は、放っておく楽な方に傾いていきますよ。すぐタクシー乗っちゃうし。 我々はそろそろ、ジャンケンのたびに発生する「最初はグー」の1秒あまりが、無為な時間であることを認識すべきだ。人生であと何回ジャンケンをするか分からないが、その積み重ねは3、4年になるはずである。これはもうちょっとした懲役だ。人生は短い。一生のうち3年を「最初はグー」と過ごして、果たして君はいいのか。

不動産屋さんも物件をネットで探しているような気がする件

2015-10-13T21:09:10+00:002015年10月13日|Categories: Webサービス, 日々|Tags: |

最近、不動産物件を探す機会がかなり多い。ネットで条件を入力し、気になる物件があれば不動産屋さんに問い合わせる、というごく普通の流れである。 一昔前は、不動産屋さんがネットに載せているのはほんの一部で、いい物件は隠し持っているなんていう噂があった。もっと言えば、掲載しているものは実は存在せず、店舗に引き寄せるためのエサだなんて噂もあった。 しかし実際にはそんなことはない。ほぼすべての物件は内見できる。 一発でいい物件が見つかるなんて中々ないので、当然断ることになる。そうすると、不動産屋さんは決まって「条件を教えてもらえればお探しします」という。まぁそりゃそうだ。 しかしその後に送られてくる情報というのが、ほぼ100%すでに見ているものだ。探しているエリアや条件をかなり絞っており、各大手不動産サイトに登録しているせいかもしれないが、それにしても「これとっくに見たよ」の繰り返しだ。 プロが見ているのがまさか検索サイトではないだろうけども、少なくともデーターベースは同じなのではなかろうか。タイムラグがあるとしたら、大家さんから仲介依頼が来てそのDBに登録する間くらいか。ましてや、不動産屋さんだけが見られるヒミツの情報なんてものは存在しない気がする。隠してたところで、何も得しないし。 もし本当にそうだとしたら、今回のように、条件が明確に決まっていてネットで日々確認できる余裕がある人にとっては、不動産屋さんを介す意味が、部屋の鍵を開けてくれるだけになってる感がある。 もちろん、個人がいきなり大家さんに「部屋見たいから鍵貸してください」というわけにもいかないから、不動産屋さんは必要だろう。しかし、「部屋を荒らさない」とか「合鍵を勝手に作って住んじゃわない」とかいう担保さえ握れれば、貸主と借主が直接やり取りする方が手間の面で有利だ。検索も内見も勝手にやるから手数料は半額、とかがあれば、不動産屋さんもビジネスの幅が広がるはずだ。立ちいかなくなるところもあるだろうけど。 さすがに不動産は高額だから契約の障害も高いだろうが、たとえばFacebookの友だちの友だちなら簡単な契約でいいよ、とかになる日が来ないだろうか。いろいろ法律が厳しいのかな。

『じゅん散歩』が適当すぎて最高すぎる

2015-10-01T20:29:36+00:002015年10月1日|Categories: 日々|Tags: |

地井武男さんの『ちい散歩』、加山雄三さんの『ゆうゆう散歩』に続く形で始まった、高田純次さんの『じゅん散歩』。 『元気が出るテレビ』はもちろん、『当たって砕けろ』のいい加減すぎる司会ぶりが大好きだった自分としてはこれはもう見逃すわけにはいかず、HDレコーダーの限界である2週間前には予約を行い、念のためグーグルカレンダーにも登録してその開始を待った。 そしてその第1回目は、本当に期待を裏切らない最高すぎる内容で、思い出してもニヤニヤしてしまうほど。 以下、放送1回目の適当発言。 (ロケ開始時に雨が降っていたため) 「朝起きたら雨だったんで来るのやめようと思ってたんですけど、そうはいかないですよね」 (目の前をバスが通り) 「この番組「散歩」ってついてるけど、いきなりバス乗っちゃいましょうか?」 (とある会社が無料ノベルティをあげようとしたら) 「もらえるものに、現金っていうのはないんですか?」 (その会社の人が興奮して社長を呼ぼうとすると) 「別にそこまで興味はないんだけどね」 (喫茶店のメニューを指して) 「これお金と交換で食べられるんですか?」 (お昼時に出会った男性二人組に対し) 「ちょうどお昼だけど、君たちもうお昼済ませたの?」 「(男性二人、嬉しそうに)い、いえ、まだです!」 「そうなの。じゃあ2人で行ってきたら?」 などなど、たった1回の30分番組、正味20分程度に詰め込まれた適当発言の爆撃。放送は週1回だと勘違いしていたのだが、なんと月〜金だそうで、これからこれだけのために生きていけるとさえ思える自分がいる。