「わがままボディ」という言葉がある。
なぜ興味をもったかというと、私が言葉の変化に関心があるからであって、今日山手線の中でそういった人を見かけたからでは決してない。

「わがまま」とは、言うまでもなくマイナス要素の強い言葉であり、曲がりなりにも、人を褒める際にはあまり使わない。辞典いわく、「自分勝手」と同義でさえあるという。

わがまま
[名・形動]自分の思いどおりに振る舞うこと。また、そのさま。気まま。ほしいまま。自分勝手。「―を通す」「―な人」
[連語]《代名詞「わ」+助詞「が」+名詞「まま」》自分の思いのまま。

しかしここに「ボディ(バディでもよい)」という、プラスもマイナスもない単なる名詞を付け加えることで、言葉は強烈な意志を持ってこちらに向かってくる。

これは一体どういった算段か。

山手線の中で一点を見つめながら考えた。

「わがまま」とは通常、「人」に対して用いる形容動詞である。そしてここに大きな落とし穴があった。我々はこの常識にとらわれ、真実を見失っていたのだ。

この場合、「わがまま」なのは、その当事者では断じてない。適度にシェイプされた、スリムな体型を指してこの言葉を使わないように、わがままなのはあくまで意志を持たない「身体」を指すのである。

身体自体は意志を持たない。しかしそこには大きな変化が確実に存在し、しかもそれは持ち主ですらも抗えないほど激烈である。
そこに、我々は得体のしれない、奥深い趣を感じ取るのではなかろうか。

だからこそ、わがままというマイナスの言葉であっても、いやさ、マイナスであるからこそ、得も言われぬ魅力を感じとるのだ。

試しに言葉を変えて、「自分勝手」を使ってみよう。
「自分勝手ボディ(バディでもよい、むしろそっちのほうがいい)」

なんてこった。よりコクとまろやかさが増すではないか。
まるで一晩寝かせたカレーのように。まるでヴィダルサスーンのように、広がらないパサツカない。

その回答に達すことができた時、私は心の中で快哉をあげた。決して視線はぶらすことなく。

そして、このブログを始めたのはインバウンドを増やす目的であったのに、本当にこれでいいのかという思いを拭いきれない。